現実こそがスピリチュアル(2)

2019.08.10
カテゴリー:感情科学

おはようございます(^^)

上野聡一朗です。

たとえば、
お部屋の一角が荷物であふれ返っているとして
もうそこに「スピリチュアル」が現れている、
というお話でした。

どういうことかというと
もし、お部屋があまり整頓されているとは
言いにくい、
という状態だったとしたら

「お部屋が整理整頓されている」
ということにあまり価値を置いていないんだな、
ということが現れていると言えるでしょう。

その、あふれ返った荷物も
あまり大切にしている感じが見えにくいとしたら
その「もの」に対して
自分自身、そんなに価値を感じていない、
ということが見てとれるかと思います。

つまり、その目の前にある状況に、
自分自身の「心」が、目に見える形で
現れている、
と言っても差し支えないんじゃないかな
と思うのです。

「心」という言葉が幅が広すぎだとしたら
「価値観」と言ってもいいかもしれません。

自分が何に価値を感じ
何に対して、そうでないのか、ということを
目の前の現実が教えてくれている、ということ。

それこそ、断捨離等、片づけの本などでは
よく言われてきたことかとも思うのですが
今回、なぜかそのことをすごく感じたんですね。

目の前にあることこそが
スピリチュアルじゃないかと。

そして、
もしそうだとしたら、
どうしたらいいのでしょうか?

たとえば、目の前が、お部屋にしても
何か出来事的なことにしても、
乱雑な感じになっていたら、
どうしたらいいのでしょうか?

次回に続きます。


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