みんなの効果・実感・変化 no.17

2018.11.22

〜感謝をこめて親孝行していきたい〜

 

私はシングルマザーで娘を育ててきたが、

彼女が不登校で入退学を繰り返したので

かなり教育費にお金を使った。

 

それにしても、娘には、どうしてあんなに

お金を使わされたんだろうと考えていて、

お金が親の愛のバロメータだと

自分が思っていたことに気づいた。

 

私には弟がいるが、子供の頃、

弟のバイクや車といった娯楽に

親(母)がお金を出した、

私大の授業料も父が全額出した。

でも、私は高校時代の英語学校の費用を

出してもらえずお年玉をはたいたり

私大の学費も育英会から借りて、

40歳くらいまでかかって返済した

(育英資金に不足分は父が出してくれたけれど)。

 

これに関してはすごい差別を受けたと

思っていた。

その意識を娘が逆の鏡として映して、

これでもか、というくらいお金を使わされた。

学費以外にも、すごい無駄遣いを

されてしまったことや、

行きたいと言い張った音楽教室に

お金を払ったのに結局行かなかったことなど。

 

母の子供時代の思い出話も、

親がケチで必要なものさえ

買ってもらえなかったという愚痴で

それを呪文のように聞かされていた。

そして自分も、母よりはましとはいえ、

弟との比較でそれをまた再現していた。

 

娘は、その満たされなかった

母娘二代の思いを、逆転していた。

 

子供のころ、弟のことは

可愛がっていたけれど、でも弟がいなければ

もう少し自分によけいに何かが回ってきたり、

プレゼントの予算が上がるのに、

と思っていたのも事実だ。

 

一方、娘に対しては、教育に投資することが

本人のためと決めていたから、

そのとおりになっただけのことともいえる。

 

上記の気付きを得たと思った日の夜に、

娘が夜のお散歩に近所の商店街に出かける

というので一緒に出かけた。

 

近所のお気に入りの雑貨屋さんで

この前から欲しいなって思っていた、

きれいな金色のハート型のトレーを見ながら

「これ、欲しいんだよね~」と言ったら、

彼女にとってママのイメージはハート、

ゴールド、赤、みたいな感じなので、

気に入ったらしく、自分の文房具と一緒に

買ってくれた(ママはつい最近退職し、

目下、経済事情が厳しいため、

自分では買えないだろうと思ったから)。

 

お金が愛のバロメーターと思っていた話を

書いたすぐあとなので、

なんだか、これで浄化されちゃった、

そんな気がした。

欲しいものを娘に買ってもらうなんて、

500円でも本当に、すごい価値。

宇宙いっぱいの愛を感じ、

心から感謝の思いで満たされた。

娘に、愛情とエネルギーとをめいっぱい

注ぎ込んで育ててきた甲斐があったと

思えるし、お返しをいただいた気分になった。

 

翌日、このハートのトレーから

さらに気付きを得た。

お金で愛を測っていたと書いたが、

昨日娘が買ってくれたトレーは500円。

でも、それはハートの形といい、

斑のある洒落た色合いといい、

まさに私の趣味にぴったりと一目見た時から

とても気に入っていた。

それでも、今のお財布の状況から、

買うのを控えていた。

それを、娘が買ってくれて、すっごく嬉しい。

 

このことは何を意味するのか?

愛の表現は、金額の多い少ないじゃない。

その人が本当に必要としているもの、

欲しているものを与えることができる時に

感動され、感謝される。

そして与える側がそこにどれだけ心を

こめられているか、だ。

(これは、今後自分が提供するセミナーや

いろいろなサービスに必須!)

となると、私が、娘に、私の収入からすると

本当に多大な額を教育に投資してきたけれど、

それも額の問題ではなくて、

彼女にとって本当に必要なものを

お金を払う対価として彼女が受け取れたこと、

それに意味があった

(わかっていたつもりだったけれど、

こうして改めて文章にしてみると、

なるほどと思える)。

 

娘は、昨日のお散歩途中に、

大好物の桜マカロンを2つ買っていた。

家に帰って私が、甘いものが食べたいと

繰り返すのを見て 「一個あげようか?」

と言ってくれた。

「せっかく買ったんだから自分で食べなさい」

と言ったら 「ママをなだめないと~」

と独り言のように

言ってたので、トレーも、絶対的に、

私を元気づけるために買ってくれたんだと

思う。

彼女自身も、 少ない収入を

やりくりしているけれど、でも、

心をこめて買ってくれたわけだ。

と書いて気づいたけれど、

私も少ない収入をやりくりして、

時にはボーナスを全部つっこんで、

銀行に真摯に頭を下げて、

学費を工面してきた。

だから、循環しているのかも…。

それはつまり、お金自身じゃなくて、

愛が循環しているわけだ。

 

そういえば、日曜日の大河ドラマでも兼続が、

「お金自身は善でも悪でもない。

使い方によってどうにでも生きる」

というようなことを言っていた、

本当にそのとおり。

 

母が、弟にばかり車やバイクを買ってあげた、

と昨日書いたけれど パートの仕事の収入の中から、

ギター教室の授業料を出してくれたり、

当時にしたらすごく高価なブーツを

買ってくれたり、

それは私が本当に欲しかったものだった。

母なりに精いっぱい愛情をこめてくれていたんだ。

金額で比較するなんて、馬鹿げていた。

私が娘にするように、スキンシップしたり

言葉にしたりして表現しない人だから

大事にされていると、

あまり感じないできたけれど、

ちゃんと行動にはしてくれていたんだ、

愛もなければ感情のない人だと

思っていたけれど、表現できないだけで、

本当はたくさん愛情をかけてくれていた、

今だって、会社を辞めた私のこと

すごく心配してくれているし。

いまさら気づくなんて、本当にごめんなさい。

 

子供のころはママが大好きで、

誕生日プレゼントをするために

おこずかいを貯めたり一生懸命だったことを

思い出した。

いつからか批判したり馬鹿にしたりしていた、

母の愛や想いを受け取らなかったのは

私のほうで、 そういう自分が本当に愚かだった。

何十年も、ママを傷つけて悲しい思いを

させていたのは私だった、

とんでもない親不孝をしていた。

私がママをあんな、頑なな人にしてたなんて、

本当に申し訳ない。

 

幸い、まだ元気なので、

これから挽回していきたい。

そのためにも、自分の仕事を確立して、

安心させたい。

そのまえに、とりあえず、

今週中に実家に帰ろうかと思う。

 

こうして書いてる間にも、号泣しちゃって、

止まらない。

 

実は、もう何年も前に娘に指摘されていた

「ママ、本当に自分のやりたいことを

したいならおばあちゃんとのことを

解消しないとだめだよ」と。

このときは、自分の言葉じゃなくて、

“降りてきている”と本人が言ってましたが、

こんなに時間がかかってしまった。

娘から気付きをいただくなんて、本当に感動。

 

弟に、なんとなく、避けられている感じが、

六感的にしていたけれど、 母に対して批判的な私に

抵抗を感じていたのかもしれない。

いつだったか、私が母を非難したら

「そんな、ママだって血も涙もないわけじゃ

ないんだから!」 と珍しく声を荒げたので。

弟にも不愉快な思いをさせて、

申し訳なかった。

でも、私たちはよく似ていて、

すごいソウルメイトなので、

この気付きを潜在意識で感じ取ってくれると思う(笑)

 

この一連の気付きを得て、

実家に日帰りしてきた。

過去にこんなに穏やかに母と接したことは

なかったくらい、ニュートラルに楽しく

素直にいられた。

父に対して残っていたわだかまりまで、

一挙に激減していた。

いまだに年齢相応の親孝行のかけらもできず、

生活の心配すらかけている状態なのに

実家に帰れば、ただ私がそこに居るだけで

両親が喜んでくれる。

これが無償の愛じゃなくてなんだろう、

こんなに愛されているのに今まで

気づかなくて不満ばかりでいた、

本当にごめんなさい!の気持ちでいっぱい。

 

幸い、まだふたりとも元気で、

それも本当に恵まれたことなので

今気づけてよかった。

これから少しでも真の意味で

感謝をこめて親孝行していきたい。